※この記事は連載「不安だらけのエジプトひとり旅」の第31話です。
前回の記事は↓
【エジプト旅行㉚】アブ・シンベル神殿に行けない!?送迎トラブルとイシス神殿への転換
アブ・シンベル神殿行きの送迎が来なかったあの朝。諦めと悔しさを抱えたまま向かったのが、フィラエ神殿(イシス神殿)でした。結果的に、この「代替プラン」が予想をはるかに超える体験になりました。
この記事で分かること
・フィラエ神殿の見どころと、実際に歩いた順路
・約4万個のブロックに解体して移された、移築のスケール
・394年に刻まれた「最後のヒエログリフ」の話
・壁に残る19世紀の旅行者の落書き
・ガイドなし・ひとり旅で回ってみた実感と所要時間
貸し切りボートで、いざ女神の島へ
宿の前で出会ったおじさんのボートに乗り込み、いよいよ出発です。力強いエンジン音を響かせながら、ボートは深く濃い藍色を湛えたナイル川を滑るように進んでいきます。島に建つフィラエ神殿へ向かうには、このナイル川をボートで渡るしかありません。

ボート料金の交渉から、逆走してチケットを買いに行った珍道中までは、前回の記事に書いています。
→ 【エジプト旅行㉚】アブ・シンベル神殿に行けない!?送迎トラブルとイシス神殿への転換
前方には、ナイル川の中洲のように浮かぶ小さな島が見えてきました。ここが、フィラエ神殿が移設されたアギルキア島です。
近づくにつれ、巨大な第一塔門がゆっくりと姿を現します。「今日は終わった」と思っていた気持ちが、神殿が近づくにつれて少しずつ塗り替えられていくのを感じました。

「ナイルの真珠」に上陸
島に上陸すると、そこには吸い込まれるような紺碧の空を背景にした、砂色の美しい神殿が広がっていました。ナイル川の真ん中に神殿だけが静かに浮かぶ光景は、現実感が薄れるほど幻想的でした。

💡 フィラエ神殿(イシス神殿)とは?
女神イシスを祀る神殿群です。アスワン・ハイ・ダムの建設による水没から守るため、1960年から1980年にかけて行われたユネスコ主導の国際キャンペーンによって、現在のアギルキア島へ移築されました(日本語のガイドでは、この島を「フィラエ島」と呼ぶこともあります)。
「ナイルの真珠」とも称され、世界遺産「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」の構成資産のひとつです。
フィラエ神殿がナイル川に浮かぶ島に建っているという非日常的なロケーション。
気の遠くなるような努力によって守られたこの美しい景観を目の当たりにすると、ここに立てていることの価値を強く感じます。
場所はアスワン市街地の南側、ナイル川に浮かぶアギルキア島。島なので陸路で直接行くことはできず、旧アスワン・ダムのそばにある船着場からボートで渡ります。
700年かけて増築され続けた神殿
「フィラエ神殿」と一言でいっても、実はひとつの建物ではなく神殿群です。しかも、一気に建てられたものでもありません。
| 時代 | おもな建設・増築 |
|---|---|
| 紀元前4世紀(第30王朝) | ネクタネボ1世の門やキオスク。現存する最古の部分とされています |
| 紀元前3〜1世紀(プトレマイオス朝) | プトレマイオス2世がイシス神殿の本体に着手。以降の王たちが塔門や生誕殿を増築 |
| 紀元後1〜2世紀(ローマ時代) | アウグストゥス、トラヤヌス(キオスク)、ハドリアヌス(門)などが追加 |
つまり、紀元前4世紀のネクタネボ1世の時代からローマ時代まで、およそ700年にわたって増改築が続けられた神殿群ということになります。最初に手をつけたのはエジプト人のファラオですが、その後を引き継いだのはギリシャ系のプトレマイオス朝の王たちとローマ皇帝でした。
約4万個のブロックに分けて運ばれた
フィラエ神殿は、いったん約4万個ものブロックに解体され、隣のアギルキア島で組み直されたとされています。
作業は一気に進んだわけではなく、1972年に事業が始まり、島を囲む仮の堤防を築いて水を抜き、石材の移送と再建が行われたのが1977年から1979年ごろ。ユネスコのヌビア遺跡救済キャンペーン全体は、1980年3月の式典をもって幕を閉じました。
つまり、今この島で私たちが歩いているのは、本来のフィラエ島ではありません。
元の島は約500m離れた場所にあり、今もダム湖の底に沈んでいます。新しい島の地形まで、元のフィラエ島に似せて造り直されたそうです。
💡 アブ・シンベルとの意外な違い
同じユネスコの救済キャンペーンで移築されたアブ・シンベル神殿は、約1,000個のブロックに分けられました。一方、フィラエ神殿は約4万個。
アブ・シンベルは岩盤を彫り抜いて造られた神殿を大きな塊に切り分けて移したのに対し、フィラエは石材を積み上げて建てられた神殿群なので、石ひとつひとつの単位まで解体して組み直したことになります。同じ「移築」でも、やり方がまったく違うんですね。
アブシンベルと迷っている方には、こちらの比較記事も参考にしてみてください。
→ アブシンベル vs フィラエ神殿 どちらに行くべき?料金・感動・アクセスを比較【アスワン観光】

緻密なレリーフに圧倒される
神殿の壁一面には、見事なレリーフが彫り込まれています。特に目を引くのは、敵を打ち据える王の姿や、女神イシスから祝福を受ける王の姿。数千年の時を経てもなお、その力強さと美しさは失われていません。

巨大な塔門をくぐると、そこから先は列柱の並ぶ前庭。壁も柱も、隙間という隙間がレリーフで埋め尽くされていて、どこを見ればいいのか分からなくなるほどです。
静寂に包まれた「聖域(Sanctuary)」へ
外の明るさとは対照的に、神殿の内部はひんやりとした静寂に包まれていました。「Sanctuary(聖域)」と書かれた案内板の奥へと進みます。
かつては限られた神官だけが入ることを許された場所。光に照らされたレリーフを見ていると、時空が歪んだような不思議な感覚に陥ります。

いちばん奥の部屋の中央には、四角い石の台座だけがぽつんと残されていました。かつてはここに、女神イシスに捧げられた像などが置かれていたと考えられています。今は何も乗っていない台座を眺めていると、かえって「失われたもの」の大きさを感じました。

「古代エジプト最後の聖域」と呼ばれる理由
実はこのフィラエ神殿、「古代エジプト最後の聖域」とも呼ばれています。
ローマ帝国がキリスト教化し、各地の神殿が次々と閉鎖されていった後も、ここでは古代エジプトの神々への信仰が続きました。国境に近い南の果てという立地も関係していたのかもしれません。
最終的に神殿が閉鎖されたのは6世紀(東ローマ帝国・ユスティニアヌス1世の命による)のこと。神殿そのものが完全に破壊されたわけではなく、その後はキリスト教の教会として使われたとされています。
ただし、この過程で壁のレリーフや神々の姿が意図的に削り取られた箇所もあるようです。神殿の中を歩いていると、たしかに一部の壁面が白く埋められていたり、彫刻が不自然に消されていたりする場所がありました。


394年の最後のヒエログリフ、452年の最後のデモティック
💡 最後のヒエログリフと、最後のデモティック
紀元394年、神官エスメト・アコム(Esmet-Akhom)がこの神殿に碑文を刻みました。これが現在知られている中で最後の、日付のあるヒエログリフの碑文とされています。場所は「ハドリアヌス門」です。
さらに、ヒエログリフを簡略化した文字であるデモティックについても、最後の日付付き碑文(452年)が同じくこのフィラエで見つかっています。
ヒエログリフが394年、デモティックが452年。その差は58年。古代エジプトの文字は、この小さな島で静かに書かれなくなっていったことになります。
壁に刻まれた、19世紀の旅行者たちの名前
神殿を歩いていて、思わず足を止めた壁がありました。
古代のレリーフの下に、まったく別の文字がびっしりと刻まれているのです。よく見ると、文字と年号。
- Brehm 1851
- E. MOSSES 56 REG 1884
19世紀にここを訪れた人たちが、自分の名前と出身地、そして年号を彫り込んでいったもののようです。

今の感覚で言えば完全な落書きですし、決して褒められたことではありません。ただ、こうして眺めていると不思議な気持ちになります。
394年に最後のヒエログリフが刻まれた壁のすぐそばに、その1,400年以上あとを生きた人たちの文字が並んでいる。
そして、さらにその170年後に、日本から来た私がそれを眺めている。
言葉も時代もバラバラな人たちが、同じ壁の前に立っていたと思うと、なんだか妙な感慨がありました。
⚠️ 言うまでもありませんが、今は遺跡に文字を刻むのは禁止です。フィラエ神殿の入口にも「遺跡の壁に書かない」「よじ登らない」といった注意書きが掲示されていました。見るだけにしましょう。
トラヤヌス帝のキオスク
見学の最後に向かったのは、美しい列柱が並ぶ「トラヤヌス帝のキオスク」。パピルスをモチーフにした柱の頭飾りが青空に向かって伸びる姿は、まさにこの神殿を象徴する美しさでした。

ローマ皇帝トラヤヌス(在位98〜117年)の名を冠したこの建物は、装飾の一部が未完成のまま残されたことでも知られています。柱に彫りかけのような箇所があるのも、そのせいなのかもしれません。
現在は屋根がなく吹き抜けになっていますが、もともとは木造の屋根が架けられていたと考える説もあるようです。
フィラエ神殿の歩き方と、行ってみた実感
ガイドなしのひとり旅で回ってみて分かったことを、まとめておきます。
だいたいの回る順番
ボートを降りて島に上陸すると、自然と一方向に進む流れになります。
- 第一塔門……巨大な壁面のレリーフが出迎えてくれます
- 前庭と列柱……左手に生誕殿(マンミシ)と呼ばれる建物があります
- 第二塔門から神殿内部へ……ここから一気に涼しく、暗くなります
- 至聖所……最深部。石の台座が残っています
- トラヤヌス帝のキオスク……島の東側。ナイル川を背景に写真を撮るならここ
広い遺跡ではないので、迷って出られなくなるような心配はありませんでした。
💡 フィラエ神殿 観光のヒント
・所要時間の目安:私はボートの待ち時間の都合でかなり急ぎ足になり、45分ほどで回りました。写真を撮りながらゆっくり見るなら1〜2時間みておくと安心です。
・朝一がおすすめ:私が訪れた朝7時台は、桟橋にはボートがひしめいていたものの、神殿の中は混雑という感じではありませんでした。光の角度も柔らかく、写真も撮りやすかったです。
・暑さ・日差し対策を:島の中は日陰が少なめ。私は早朝だったので涼しく快適でしたが、日中は暑くなりそうなので、帽子や日焼け対策があると安心です。
・売店はあります:桟橋の近くにお土産物屋が並んでいて、キーホルダーやポストカード、帽子、Tシャツなどが売られていました。

エジプト旅行の日差し・暑さ対策の持ち物は、こちらの記事も参考にしてみてください。
→ エジプト旅行の持ち物ガイド|一人旅で後悔したリアルな必須リスト
ガイド付きで解説を聞きながら回りたい方は、ツアーという選択肢もあります。私は付けませんでしたが、レリーフの意味まで知りたい方には向いていると思います。
▶ フィラエ神殿の半日ガイドツアーを見てみる(GetYourGuide)
▶ フィラエ神殿+オベリスク+ハイダムの1日ツアーを見てみる(Klook)
時間との戦いと、おじさんの笑顔
島に上陸してから、私の頭の片隅にはずっと「1時間」というタイムリミットがこびりついていました。もしボートが先に帰ってしまったら、自力で帰る方法はありません。一人旅における、まさに「詰み」の状況です。
その恐怖があったので、じっくり堪能したい気持ちを抑えつつ、実はかなり急ぎ足で境内をまわっていました。迷路のような神殿内を移動し、必死にシャッターを切る……。結局、予定よりかなり早い45分ほどでボート乗り場へと戻ってきました。
ところが、戻ってみてまた別の不安が。桟橋には似たようなボートとおじさんが無数にひしめき合っていて、正直、どれが自分のおじさん(ボート)か見分けがつきません(笑)。
少し心配になりながら岸壁を覗き込んでいたその時——私の姿を見つけるなり、遠くから大きな声で合図を送り、力強く手招きしてくるおじさんの姿が見えました。

その笑顔と力強い仕草を見た瞬間、心の底から安心しました。エジプトの価格交渉は苦手な人間には体力を削られる作業ですが、一度契約を交わせば、こうして約束を守ってくれる。言葉は通じなくても、この瞬間に通じ合った圧倒的な安心感——そんな現地の人とのやり取りも、今ではこの旅の大切な思い出のひとつです。
【重要】エジプトの個人交渉サービスは必ず「後払い」で
ここで、エジプトを旅する方に絶対に守ってほしい鉄則があります。ボートやタクシー、ガイドなど、個人で交渉したサービスは「支払いは必ずすべての工程が終わった後の後払い」にすることです。
- 前払いは危険:途中でいなくなるリスクが高くなります
- 詰みを避ける:逃げられた瞬間に立ち往生してしまう場所では、後払いが有効な抑止力になります
- 交渉の主導権を握る:「最後にまとめて全額払う(I’ll pay you after.)」とはっきり伝えましょう
今回のおじさんは、こちらが何も言わずとも後払いで快く受けてくれた、本当にいい人でした。
ボートやタクシーを個人で交渉するときは、料金だけでなく「支払いはいつするのか」「往復なのか片道なのか」「何時間待ってもらえるのか」を、乗る前にまとめて確認しておくと安心です。私の場合は「往復+1時間待機+宿の前まで」を先に決めていたので、島でも余計な不安を抱えずに済みました。
エジプトの治安や、現地の人とのやり取りで気をつけたいことについては、こちらの記事でも詳しくまとめています。
→ エジプトの治安は危険?一人旅で感じたリアルと注意点まとめ
帰り道と、小さな後悔
宿までの帰りのボートからの景色も絶景でした。ナイル川の水面を滑るように進むボートから見るアスワンの景色は、旅の中でも特に印象に残る時間。どこかヨーロッパの優雅さ(行ったことないですが!笑)すら感じさせる眺めでした。

宿に戻るまでの間、私はこの後のことを考え始めました。
次の予定なんて、全く立てていません。早朝のアブ・シンベル事件のショックがあまりにも大きく、スケジュールを組む気力さえ残っていなかったのです。
「未完成のオベリスク(切りかけのオベリスク)でも見に行こうかな……それともスーク(市場)を散策しようかな……」
ぼんやりと考えますが、移動手段すら悩みどころです。「Uberも使えないし、移動はどうしようか……。ホテルのオーナーさんがいたら、タクシーを呼んでもらえるかな……」やる気があるのかないのか分からない、そんな気力が底をつきかけた状態でした。

宿の前の桟橋に到着し、おじさんが手際よくボートを係留し終わったタイミングで、おじさんに約束の500EGPを渡すと——「No tip?(チップはないのか?)」と一言。
正直なところ、当時の私は「そもそも500EGPだって結構高いはずだし、十分でしょ」という気持ちが強かったので、「チップ込みだよ」と伝えました。おじさんはそれ以上、しつこく言ってくることもなく、静かに引き下がってくれました。
しかし、「よく考えたら、たった一人でボートを貸し切って、往復送迎、しかも宿の目の前まで送り届けてもらって……かなりのVIP待遇だったんじゃない……?」
すまない、ボートのおじさん。今更だけど、やっぱりチップを渡すべきだったかもしれません。
「ぼったくりが多い」という先入観がある国では、どうしても現地の人を過剰に警戒してしまいます。純粋に親切だった人に対しても、無意識に失礼な対応をしてしまっていた瞬間があったかもしれない——そんなことを、この旅では何度か考えました。
そして、奇跡の展開へ
ボートを降りる瞬間、私はおじさんに「タクシーはどこでつかまえられる?」と何となく聞いてみました。するとおじさんは「タクシーを探してるのか?」「呼んでほしいのか?」と、食い気味に2回も聞き返してきます。その勢いに、一瞬「また何か裏があるのでは?」「いいカモだと思われていないか?」と不安がよぎりました。
すると、おじさんはそのまま岸に向かって大声で誰かを呼び始めました。すると、岸にいた若い男性がこちらに合図を送っています。おじさんは「彼がタクシードライバーだ」と紹介してくれ、ここでおじさんとはお別れ。私は半信半疑のまま、その若いドライバーのもとへ歩いて行きました。
「どこに行きたいんだ?」と彼は聞いてきました。私はもう半分諦めながらも、ダメ元で、絞り出すようにこう言ってみたのです。
「アブ・シンベル……」
「アブ・シンベル?」
彼は少し驚いたような顔をしました。この時、すでに時刻は午前8時を過ぎています。通常、アブ・シンベルへのツアーは早朝4時台に出発するもの。片道だけで3時間から4時間はかかる長い道のりです。
この時間から出発するのは、さすがに厳しいのかもしれない……。そんな不安が頭をよぎりましたが、私の心の中では、どうしても諦めがついていなかったのだと思います。
そもそも、このアブ・シンベル神殿を見るために、私ははるばるアスワンまでやってきたのです。トラブルのせいでこのまま終わってしまうなんて、どうしても受け入れられませんでした。
だからこそ、無理を承知の上で、言わずにはいられなかったのです。
彼はしばらく考え込みました。沈黙が続きます。そして、意を決したようにこう言いました。
「4,000EGP(約12,000円)だ」
「高っ!」と思わず声が出ました。当初申し込んでいた乗り合いバスが2,100円程度だったことを考えると、6倍近い金額です。「3,000EGPにして」と交渉しても、彼は首を横に振るばかり。
そして私の乏しい英語力でなんとか聞き取った限りでは、こんなことを言っているようでした。
「警察関係の手続きが必要なんだ。だからこれ以上は下げられない」……そんなニュアンスのことを言っていた気がします。
その言葉を聞いて、ふと頭をよぎりました。
「もしかするとアブ・シンベルへ行くには、警察や役所への事前申請が必要なのか?」
今はもう申請するには遅すぎる時間。この金額には「今から無理やり通行許可を取り付けるための、特別な調整費用」のようなものが含まれているのだろうか……。
正確には分かりませんが、そんな考えが脳裏をかすめました。
彼は「友達に警察がいる」と言うと、おもむろにスマホを取り出し、誰かに電話をかけ始めました。おそらく何らかの確認や調整をしていたのだと思いますが、実際に誰と話していたのかは分かりません。私の承諾も待たず、話はどんどん進んでいきます。
⚠️ この「手続き」について
ここまでの話は、あくまでドライバーからそう説明されたという記録です。実際にどのような手続きだったのか、本当に必要なものだったのかは、私には確認できていません。
「現在アブ・シンベルへ行くには警察への事前申請が必要」という意味ではないので、その点だけ誤解のないようお願いします。
💡 アブ・シンベルへの道と「コンボイ」制度
アスワンからアブ・シンベルまでの約280kmの道のりは、かつて観光客の安全確保のため、警察車列(コンボイ)での集団移動が義務付けられていた時期があるとされています。近年は大幅に緩和されているようですが、ハマダさんの「警察の友達がいる」「手続きが必要」という話も、こうした通行管理の名残が関係していたのかもしれません。
4,000EGPという金額が妥当なのか、それとも完全に足元を見られているのか——私には判断できませんでした。でも——
「お金はいつか稼いで取り戻せるが、時間と経験は取り戻せない」
腹をくくった私は、「4,000EGPでアブ・シンベルへ連れて行ってくれ」と伝えました。
絶望のどん底にいた朝から一転——奇跡の大逆転が始まろうとしていました。
果たして無事に、あの巨大な神殿をその目に焼き付けることができるのでしょうか。
次回へ続きます!

フィラエ神殿でよくある疑問
Q. 見学の所要時間はどれくらい?
私はボートの待機時間が1時間だったため、急ぎ足で45分ほどで回りました。遺跡自体はそれほど広くないので45分でも一通りは見られますが、レリーフをじっくり見たり写真を撮ったりするなら1〜2時間あると余裕があります。ボートを交渉するときは、待機時間もセットで決めておくのがおすすめです。
Q. ガイドは必要?
私はガイドなしで回りました。順路が分かりやすいので、迷うことはありません。ただし、壁一面のレリーフが「何を描いているのか」までは、自力ではほとんど分かりませんでした。歴史や神話の意味を知りたい方は、ガイド付きツアーの方が満足度は高いと思います。
Q. 島に売店やお土産屋さんはある?
桟橋の近くにお土産物屋がありました。キーホルダー、ポストカード、帽子、Tシャツ、アクセサリーなど、定番のラインナップです。
今回訪れた場所一覧
| スポット名 | 場所 |
|---|---|
| フィラエ神殿(イシス神殿) | Googleマップで見る |
※本文中の料金や所要時間は、2024年11月に実際に訪れたときのものです。歴史や移築に関する情報は、記事更新時点(2026年9月)で確認できる資料をもとに追記しています。入場料や開館時間は改定されることがあるため、訪問前に公式サイトでの確認をおすすめします。フィラエ神殿の入場料・開館時間の最新情報は前回の記事にまとめています。
次の記事はこちら↓
【エジプト旅行㉜】砂漠の検問所を越えて|ハマダさんの執念とアブ・シンベル神殿の感動
フィラエ神殿への行き方やボート交渉の相場を体系的に知りたい方は、こちらのまとめ記事にも整理しています。
→ フィラエ神殿(イシス神殿)の行き方・アクセスまとめ|ボート交渉・料金・場所も解説【アスワン発】
アスワン・アブシンベルのまとめ記事はこちらの記事で紹介してます。
→ 【アスワン観光まとめ】アブシンベルの行き方・フィラエ神殿・宿選び・移動手段を解説


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